2012年2月4日(土) 晴れ
昨日で寒さの峠を越え、所々道路の凍結は残るものの、穏やかな朝を迎えています。
今日は『菊池神社』のご紹介を、一昨日に引き続きさせていただきます。
現在の熊本県菊池市を舞台に活躍した菊池一族の居城、『菊池城』の本丸跡に明治3年(1870年)に社殿を造営されました。
これは、慶応4年(1868年)、皇室に忠義を尽くしてきた菊池一族を称えて、明治天皇が熊本藩に菊池氏を顕賞し祭祀を行うよう命じられ作られたものです。
これにより、明治3年(1870年)菊池城本丸址に社殿を造営、同年4月28日に鎮座せられ、明治11年に別格官幣社に列せられたと言うことです。
とても由緒のある神社なのです。
先ほども述べましたように、菊池神社となる前のこの地は、『菊池城』です。
いわゆる山城で、菊池平野を見下ろす山の上にあります。
周りの木々は非常に大きく、歴史を感じさせるおもむきがあります。
この写真は本殿に向かって右手の大きな楠木です。
くすのきの奥には菊池平野が一望できます。
下から登ると本殿の前にはこのような大きな門があります。
階段はかなり体力を使いますよ(笑)。
時間の無い方や体力に自信の無い方は、上の駐車場まで車でこられることをおすすめします。
お正月の参拝は、多くの方が階段を登って訪れます。
下から上まで埋め尽くすほどの大行列になります。
上の写真の右側に半分ほど写っている門を、下から写したのがこの写真です。
今回私は、上の駐車場まで車で来て、手を清め参拝してきました。
(あくまで時間が無かったからですよ!)
水はとてもきれいで、むちゃくちゃ冷たかったです。
なんだか心が洗われる気がしました。
境内には菊池歴史館があり、菊池千本槍など菊池氏500年の歴史の遺物が展示されています。
桜の名所としても知られているので、その時期にはまた写真と共にご紹介しますね。
現在放送中のNHK大河ドラマ『平清盛』の時代から活躍したのが菊池一族なので、今回のストーリーにも出てこないかと大きく期待して毎回見ています。
1182年平家の九州支配に対して反抗して敗れたり、また1185年の壇ノ浦の戦いでは、平家方につき敗れたりと、なんだか悲運の一族ですが、その後室町時代まで24代もの間、菊池を中心として活躍します。
鎌倉時代、2度の元寇(1274年文永の役、1281年弘安の役)では日本を守ろうとかなりの奮闘振りが記録されています。
『蒙古襲来絵詞』にその姿が描かれていることでもうかがえます。
また、1335年、新田義貞の軍に従い、箱根での足利尊氏との戦いで『菊池千本槍(やり)』を生み出し、菊池の名を高めます。
このころ(南北朝時代)の戦法は、馬上からの弓矢や薙刀、野太刀によるものが主流で、槍はまだ普及していませんでしたが、いち早く槍を取り入れたのが菊池一族です。
この槍での戦術に関しては、後に、海軍士官の短剣に菊池槍を改造し仕込むことが流行したとの逸話も残っています。
精神的・歴史的な意味もあるようですが、菊池槍が比較的細身で海軍士官短剣の形状に合致したのも理由の一つだそうです。
『菊池神社』は由緒正しき壮大な神社です。
歴史を探求するもよし、そのおもむきに心洗われるもよし、桜の時期には最高のロケーションでお花見ができます。
ぜひ、一度お立ち寄りください。
FLCパートナーズストア 笠 泰紀